宮古島が“球春”に包まれていた時代
― オリックス春季キャンプと、島の記憶に残る2月の物語 ―
1990年代から2014年,宮古島の二月はプロ野球キャンプで動いた。オリックスの春季キャンプは冬の経済を起こし,島の時間感覚を変え,子どもたちの夢を現実にした。イチローの華,清原の重さ。橋がなかった離島性と,人の距離が近い島の作法。海だけでは語れない宮古島の記憶を,史料と回想で辿る保存版読み物。
冬の宮古島は、海だけの季節じゃなかった
現在の宮古島は、一年を通して観光客が訪れる南国リゾートとして知られています。しかし1990年代から2010年代前半にかけて、2月の宮古島にはもう一つの顔がありました。
それが、プロ野球・春季キャンプの島としての宮古島です。空港に掲げられる歓迎横断幕。市民球場から聞こえてくる乾いた打球音。少年野球の子どもたち、観光で訪れたファン、地元の人々。島全体が、春を少し先取りするような高揚感に包まれていました。その中心にあったのが、オリックス・バファローズ(旧オリックス・ブルーウェーブ)の春季キャンプです。

宮古島でオリックスがキャンプをしていた時期
オリックスが宮古島で春季キャンプを行っていたのは、1993年頃から2014年まで。途中、他地域との併用や移動はありましたが、約20年にわたって宮古島は「オリックスの球春」を受け入れてきました。特に印象深いのは以下の時期です。
・1990年代後半〜2000年代初頭
・2013年の宮古島単独キャンプ
この時代、宮古島の2月は明確に「野球の季節」でした。

- プロの練習を見守る観客と選手の様子(2013年)
➤ 出典:宮古毎日新聞「プロの練習を間近に/オリックス春季キャンプ」より
キャンプの舞台|宮古島市民球場と下地球場
キャンプの主な拠点は、宮古島市民球場と下地球場。
朝のランニングから始まり、キャッチボール、守備練習、打撃練習、ケース打撃。スタンドとグラウンドの距離が近く、選手の掛け声や息遣いまで伝わる臨場感。「プロ野球を、ここまで近くで見ていいのか」そう感じた観光客は少なくありません。


当時の宮古島の様子|キャンプが島を変えた理由
冬はまだ“静かな季節”だった
90年代から2000年代前半の宮古島は、現在ほど冬の観光需要が高くありませんでした。そこにプロ野球キャンプが加わることで、宿泊施設、飲食店、レンタカー、タクシー、土産物店が一気に活気づきます。キャンプは、宮古島にとって冬の経済を支える存在でした。
橋がなかった時代の「本当の離島感」
伊良部大橋が開通するのは2015年。
オリックスが宮古島でキャンプをしていた時代の多くは、まだ船で移動する“本当の離島”の時代です。移動は不便。しかし、その不便さが
・選手にとっては集中できる環境
・ファンにとっては特別な旅を生み出していました。
イチローフィーバー|島が揺れたスターの存在
宮古島キャンプの象徴的存在が、**イチロー**です。
練習開始と同時に人が集まり、一打席ごとにどよめきが起きる。オープン戦やパレードには、1万人規模の観客が集まった年もあり、経済効果は30億円以上と試算されたこともあります。しかし本当の価値は数字以上。

島の子どもたちが「プロ野球選手は、テレビの中の人じゃない」と実感できたことでした。

イチロー(オリックス・ブルーウェーブ時代)。宮古島での春季キャンプ期間中も、地元ファンの注目を集めたスター選手。
出典:写真検索結果(Wikimedia Commons 等)
清原和博も来ていた|もう一つの“重たいスター”
宮古島キャンプを語るうえで欠かせないのが、
**清原和博**の存在です。
清原はオリックス在籍中の2006〜2008年、宮古島での春季キャンプにも参加しています。
イチローが「憧れ」なら、清原は「畏怖」。黙々とバットを振る姿。一打一打に漂う緊張感。
朝の市民球場には、自然と静かな空気が流れていたと、島の人は語ります。

清原和博(オリックス在籍時期)。宮古島キャンプでは一打一打に集中した姿が印象的だったと島民は語る。
出典:写真検索結果(Wikimedia Commons 等)
観光と生活が交差した2月の宮古島
キャンプ期間中の宮古島では、観光と日常が不思議な形で交わっていました。
・昼は球場、夕方はビーチ
・夜は居酒屋で隣に選手が座る
・タクシー運転手が前日の練習を語る
島全体が、ひとつのチームを応援しているような感覚。
それが、宮古島キャンプの最大の魅力でした。
なぜ宮古島はキャンプ地に選ばれたのか
理由は明確です。
・温暖な気候
・騒がしすぎない環境
・地域ぐるみの歓迎体制
宮古島は「集中したいチーム」にとって理想的な場所でした。
なぜ宮古島キャンプは終わったのか
2015年以降、オリックスは宮崎へキャンプ地を移します。
背景には、
・球場施設の老朽化
・練習試合やオープン戦の組みやすさ
・アクセスや動線の効率化
といった、プロ野球キャンプの時代変化がありました。宮古島の価値が下がったわけではありません。
今も残る「キャンプの記憶」を巡る旅
現在も、宮古島市民球場はそこにあります。
外周を歩きながら、かつてスタンドを埋めた人の波を想像する。海を見るだけではない、もう一つの宮古島の物語に触れられる場所です。
FAQ|宮古島がまだ“素顔”だった頃
― オリックス春季キャンプがあった時代の、島の日常と2月の記憶 ―
Q1. 宮古島でオリックスの春季キャンプはいつ行われていましたか?
A. オリックスは1990年代から2014年まで、宮古島を春季キャンプ地として使用していました。途中で他地域との併用はありましたが、約20年にわたり宮古島の2月の風物詩となっていました。
Q2. なぜ宮古島がキャンプ地に選ばれたのですか?
A. 温暖な気候に加え、当時の宮古島は静かで集中しやすい環境でした。観光地化が進みきっておらず、島全体が落ち着いていたことが、調整期のキャンプに適していたとされています。
Q3. 当時の宮古島の2月はどんな雰囲気でしたか?
A. 現在と違い、2月は観光の谷間で島はとても静かでした。海は美しいものの泳ぐ人は少なく、夜の街も早く落ち着く時期。その静けさを一変させたのが春季キャンプでした。
Q4. キャンプ期間中、島の生活はどう変わりましたか?
A. ホテルが埋まり、レンタカーが不足し、居酒屋や飲食店がにぎわいました。島民にとっては「冬なのに忙しい2月」という特別な時間で、生活リズムそのものが一時的に変わっていました。
Q5. 観光客でもキャンプは見学できたのですか?
A. はい。多くの日で自由に見学でき、プロ野球選手の練習を非常に近い距離で見ることができました。この距離の近さが、宮古島キャンプ最大の魅力でした。
Q6. イチローや清原和博は本当に宮古島に来ていたのですか?
A. はい。オリックス在籍時代のイチロー、清原和博はいずれも宮古島での春季キャンプに参加しています。島民にとって彼らは、テレビの中の存在ではなく、同じ空気を共有したスターでした。
Q7. イチローと清原では、島の雰囲気は違いましたか?
A. 違いました。イチローの時代は明るく華やいだ空気があり、清原の時代は球場に張りつめた緊張感が漂っていたと、多くの島民が振り返っています。どちらも島の記憶に強く残っています。
Q8. 子どもたちにとってキャンプはどんな存在でしたか?
A. プロ野球選手の体格や練習量、姿勢を間近で見ることで、「夢が現実とつながる」体験になりました。この世代が、現在の宮古島のスポーツ文化を支えています。
Q9. 伊良部大橋がなかった頃の宮古島は不便でしたか?
A. はい。島への移動は船が中心で、天候による欠航も日常的でした。しかしその不便さが、島に来ること自体を特別な体験にし、時間の流れを濃くしていました。
Q10. なぜオリックスは宮古島でのキャンプを終えたのですか?
A. 球場施設の老朽化や、練習試合・移動の効率性などが理由です。プロ野球キャンプ自体が、より機能性を重視する時代に変化したことが背景にあります。
Q11. 今の宮古島を訪れる際、この時代をどう楽しめばいいですか?
A. 市民球場や市街地を歩きながら、「ここに人が集まり、島の2月が動いていた時代」を想像してみてください。ビーチとは違う、もう一つの宮古島の物語に触れられます。
Q12. この時代の宮古島は、今と何が一番違いますか?
A. 一番の違いは「人との距離」です。観光と生活が自然に混ざり、選手も観光客も島の日常に溶け込んでいました。その距離感こそが、宮古島が“素顔”だった頃の象徴です。



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