宮古島の古代交易|密牙古人と保良元島遺跡に残る海の歴史

宮古島は600年以上前から海で世界とつながっていた?

中国史料に残る「密牙古人」と保良元島遺跡の謎

【30秒で分かる】

宮古島は、琉球王国の時代より前から海を通じて外の世界とつながっていた可能性があります。中国の史料には、1317年に「密牙古人」と呼ばれる宮古島の人々が、大小2隻の船で南方交易へ向かう途中、嵐に遭い中国へ漂着した記録が残されています。さらに、宮古島市城辺保良にある保良元島遺跡からは、宋・元・明初期の中国製陶磁器片も出土しています。宮古島の美しい海は、かつて島の人々が外の世界へ向かった“道”でもあったのです。

宮古島の歴史を深掘りすると、ひとつの重要な言葉に出会います。

それが「密牙古人(みやこじん)」です。

宮古島市の文化財資料によると、『元史』『温州府志』には、元の延祐4年、つまり1317年に「婆羅公管下密牙古人」が、大小2隻の船で南方交易へ向かう途中、嵐に遭い、中国福建省永嘉県へ漂着した記録が残されています。小舟に乗っていた14人は救助され、その後、泉南という当時の貿易都市から密牙古方面へ向かう船に乗り、無事に帰国したとされています。

ここで注目したいのは、「婆羅」は現在の保良、「密牙古」は宮古に比定されていることです。つまり、少なくとも14世紀初めには、宮古島の人々が海を渡り、南方交易に関わっていた可能性があるということになります。

この話が面白いのは、単なる伝説ではなく、島内の遺跡とも重なってくる点です。

宮古島市城辺保良にある保良元島遺跡は、東平安名崎の根元近く、標高50〜60メートルほどの台地に形成された14〜15世紀頃の集落遺跡です。1965年の発掘調査では、宮古産の土器のほか、宋・元・明時代初期の中国製陶磁器片が出土しています。

つまり、宮古島には実際に中国製の陶磁器が入り、島の人々が外部世界と何らかの形でつながっていたことを示す物証も残っているのです。

保良元島遺跡は、ただの古い集落跡ではありません。宮古島市は、この遺跡について「海外交易の拠点という可能性も残されている」と紹介しており、宮古島の歴史を考えるうえで重要な場所と位置づけています。

では、宮古島の人々は何を売り、何を買っていたのでしょうか。

ここは、まだはっきり分かっていません。

ただ、宮古・八重山を含む先島諸島では、14世紀以降、中国福建沿岸の海商との私貿易・密貿易が盛んだったとする研究もあります。その中で求められたものとして、夜光貝、真珠貝、ナマコ、フカヒレ、タイマイ、牛皮、苧麻衣、芭蕉布、薬草などが挙げられています。

もちろん、これらすべてが宮古島の保良から直接運ばれていたと断定できるわけではありません。しかし、宮古島周辺の海には、貝類や海産物など、交易品になり得る資源がありました。そして、出土した中国陶磁器は、島側が外から陶磁器や生活用品、装飾品などを受け取っていた可能性を示しています。

ここで大切なのは、「宮古島が中国や東南アジアと直接、大規模に交易していた」と簡単に言い切ることではありません。

確実に言えるのは、1317年の中国史料に「密牙古人」が登場し、南方交易の途中で漂着したと記録されていること。さらに、保良元島遺跡から中国製陶磁器が出土していること。この2つが重なることで、宮古島が14世紀頃には海上交通と交易のネットワークの中にいた可能性が高まる、ということです。

宮古島の歴史は、琉球王国の支配だけで始まったわけではありません。

1388年頃には宮古の豪族・与那覇勢頭豊見親が中山へ上がり、1390年には中山王察度に朝貢したとされています。その後、宮古・八重山は琉球王国の枠組みに組み込まれていきます。

しかし、それ以前の宮古島には、すでに島独自の海の動きがあった可能性があります。

保良の人々は、海を見て、風を読み、潮を知り、外の世界へ向かっていたのかもしれません。

現在の宮古島は、観光、リゾート、マリンアクティビティ、美しい海で知られています。けれど、600年以上前の宮古島もまた、海をただ眺める島ではありませんでした。

海は、暮らしの場であり、祈りの場であり、外の世界へつながる道でもありました。

東平安名崎へ向かう途中、保良の土地を通るとき、そこにはただの静かな集落風景だけではなく、かつて海を渡った人々の記憶が眠っているのかもしれません。

宮古島の海は、美しいだけではありません。

この海は、島の人々を外の世界へ運び、文化や物資を運び、宮古島の歴史を形づくってきた“道”でもありました。

密牙古人、保良元島遺跡、中国陶磁器。

これらの点をつなぐと、宮古島には「海で世界とつながっていた島」という、もうひとつの顔が見えてきます。

まだ解明されていないことは多くあります。

何を売っていたのか。

何を買っていたのか。

どこまで航海していたのか。

誰が船を動かしていたのか。

保良の集落は、どれほどの役割を担っていたのか。

答えがすべて出ていないからこそ、この歴史にはロマンがあります。

宮古島は、ただの南の島ではありません。

600年以上前から、海を越えて世界とつながろうとしていた島。

それが、宮古島の古代交易に残された大きな魅力です。

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編集者コラム・宮古島への想い