木製練習機「赤とんぼ」で宮古島から出撃──第三次龍虎隊が伝える戦争と平和【完全保存版】

【30秒で分かる】

太平洋戦争末期の1945年7月、台湾で編成された海軍の神風特別攻撃隊「第三次龍虎隊」は宮古島へ進出し、木製の練習機「赤とんぼ(九三式中間練習機)」に爆弾を搭載して沖縄近海へ出撃しました。攻撃を受けた米海軍駆逐艦「キャラハン」は沈没し、神風特攻によって撃沈された最後の米艦船とされています。一方で、第三次龍虎隊より後にも特攻出撃の記録があるため、「日本最後の特攻隊」と断定することはできません。現在も宮古島市平良東仲宗根・二重越には慰霊碑が残り、毎年慰霊祭が行われています。この記事では、宮古島が戦争末期に果たした役割と、第三次龍虎隊が残した歴史を史実に基づいて紹介します。

宮古島は沖縄戦の重要な軍事拠点だった

沖縄戦というと、激しい地上戦が繰り広げられた沖縄本島南部を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、宮古島もまた沖縄戦における重要な軍事拠点でした。

1943年以降、旧日本軍は宮古島を南西諸島防衛の前線基地として整備し、海軍飛行場、陸軍中飛行場、陸軍西飛行場の3つの飛行場を建設しました。島には陸軍約2万8千人、海軍約2千人、合わせて約3万人もの兵士が配備され、島全体が軍事基地ともいえる状況になっていました。

そのため宮古島は、1944年10月の「十・十空襲」をはじめ、終戦まで繰り返し米軍の空襲や艦砲射撃を受けました。攻撃対象は飛行場や港湾などの軍事施設だけではなく、島民の暮らしにも大きな影響を及ぼし、多くの人々が防空壕での避難生活を余儀なくされました。

宮古島では沖縄本島のような大規模な地上戦こそありませんでしたが、戦争とは決して無縁ではありませんでした。現在も島内には飛行場跡や防空壕、慰霊碑などが残り、戦争の記憶を静かに伝え続けています。

第三次龍虎隊とは

第三次龍虎隊は、1945年6月下旬に台湾・虎尾基地で編成された海軍の神風特別攻撃隊です。資料によって「第三龍虎隊」「第3龍虎隊」と表記されることもありますが、本記事では慰霊碑や地元報道で多く使われている「第三次龍虎隊」の表記を用います。

隊員は18歳から20歳前後の若者7人でした。終戦が目前に迫る中、沖縄近海の米軍艦隊への特攻作戦が命じられ、1945年7月28日に台湾から宮古島へ飛来。翌日に備え、宮古島の海軍飛行場で最後の準備を整えました。

宮古島が選ばれた理由は、台湾と沖縄本島の中間に位置する戦略上の重要拠点だったためです。当時の海軍飛行場は南方からの航空部隊が集結する前進基地として機能し、終戦間際には特攻作戦にも使用されました。

木製練習機「赤とんぼ」で出撃

第三次龍虎隊が搭乗したのは、九三式中間練習機、通称「赤とんぼ」でした。

この機体は本来、操縦訓練を目的とした複葉機で、戦闘機として開発された航空機ではありません。木材や鋼管、布張りの翼で構成された比較的小型の機体で、速度も戦闘機には及びませんでした。

しかし、戦争末期の日本では航空機や燃料、熟練搭乗員が不足しており、練習機にも250キログラム爆弾を搭載して特攻機として使用せざるを得ない状況に追い込まれていました。

練習機である「赤とんぼ」が実戦に投入された事実は、当時の日本がいかに厳しい戦況に置かれていたかを物語っています。

宮古島から沖縄近海へ

1945年7月28日深夜から29日未明にかけて、第三次龍虎隊は宮古島を飛び立ちました。

出撃日時については資料によって若干の違いがありますが、多くの記録では7月28日に宮古島へ到着し、その夜から翌29日未明にかけて沖縄近海へ向かったとされています。

隊員たちは帰還を前提としない任務に就き、それぞれ爆弾を抱えた「赤とんぼ」で夜の海へ飛び立ちました。

元隊員の証言では、片道分の燃料だけを積み出撃したと語られていますが、これは戦後の証言に基づくものであり、軍の公式記録で確認された内容ではありません。それでも、当時の過酷な状況を伝える証言として現在も語り継がれています。

米駆逐艦「キャラハン」と沖縄戦最後期の特攻

第三次龍虎隊の攻撃を受けた艦船として知られているのが、アメリカ海軍の駆逐艦「USSキャラハン(USS Callaghan)」です。

米海軍の記録によると、1945年7月29日午前0時30分ごろ、特攻機が右舷へ突入して爆発。後部機械室などが大破し、搭載していた弾薬が誘爆したことで艦は炎上し、およそ2時間後に沈没しました。米兵47人が死亡し、73人が負傷したとされています。

キャラハンは、神風特攻によって撃沈された最後の連合国側艦船とされています。ただし、この後にも特攻出撃そのものは続いているため、「第三次龍虎隊が日本最後の特攻隊」という表現は正確ではありません。

この歴史を振り返る上で忘れてはならないのは、出撃した若者だけでなく、攻撃を受けて命を落とした米兵にも家族や人生があったという事実です。戦争は敵味方を問わず、多くの命と未来を奪いました。

二重越に残る第三次龍虎隊慰霊碑

第三次龍虎隊の歴史を今に伝える慰霊碑は、宮古島市平良東仲宗根の二重越(ふたえごえ)、豊旗の塔境内に建てられています。沖縄県の慰霊塔資料にも「神風特別攻撃隊第三次龍虎隊之碑」として登録されており、1994年(平成6年)に建立されました。

慰霊碑には、宮古島から出撃した隊員7人の氏名と、1945年7月29日の出撃を追悼する碑文が刻まれています。周辺には第三次龍虎隊だけでなく、宮古島に駐屯していた旧日本軍部隊の慰霊碑も数多く建てられており、二重越は宮古島の戦争の歴史を静かに伝える場所となっています。

観光ガイドには大きく紹介されることはありませんが、この場所は宮古島が戦争の最前線だったことを今に伝える貴重な歴史遺産の一つです。

戦後も受け継がれる慰霊祭

第三次龍虎隊の慰霊祭は、戦後長年にわたり元隊員や遺族、地元関係者によって受け継がれてきました。

近年は沖縄県戦没者慰霊協会などが中心となり慰霊祭を開催し、隊員たちの冥福を祈るとともに恒久平和への願いを未来へ伝えています。戦後80年を迎えた2025年にも慰霊祭が執り行われ、終戦から81年となる2026年には、台湾から訪れた関係者を含む約20人が参列したことが報じられました。

戦争体験者が少なくなる中でも慰霊祭が続けられているのは、過去の出来事を忘れないためだけではありません。同じ悲劇を二度と繰り返さないという思いを、世代を超えて受け継いでいくためでもあります。

台湾と宮古島を結ぶ歴史

第三次龍虎隊は、当時日本統治下にあった台湾で編成され、宮古島へ移動して出撃しました。そのため、宮古島と台湾には戦争という歴史を通じた深いつながりがあります。

現在、慰霊祭に台湾から関係者が訪れることもありますが、それは戦争を語り継ぐためであり、特攻をたたえるためではありません。歴史研究者や関係者、交流団体などが参加し、犠牲となった人々へ祈りを捧げる場となっています。

かつて戦争によって結ばれた宮古島と台湾は、現在では平和を願う交流へと形を変えています。その変化こそ、戦後80年以上という年月が残した大きな意味と言えるでしょう。

宮古島に残る戦争遺跡

宮古島には第三次龍虎隊慰霊碑以外にも、戦争の歴史を伝える遺構が数多く残されています。

旧海軍飛行場跡、陸軍中飛行場跡、防空壕、地下陣地跡、慰霊碑などが島内各地に点在し、宮古島市では戦争遺跡の調査や保存も進められています。

現在は宮古ブルーの海や美しいビーチが世界中から観光客を魅了していますが、その風景の中には戦争の記憶も静かに刻まれています。

何気なく通り過ぎる道路や畑の近くにも、かつて飛行場や軍事施設が存在していた場所があります。宮古島を訪れる際は、美しい景色だけでなく、この島が歩んできた歴史にも目を向けることで、旅の印象はさらに深いものになるでしょう。

歴史を伝えることは、戦争を美化することではない

第三次龍虎隊を語るとき、「勇敢だった」「戦果を挙げた」といった言葉だけでは、この歴史の本質を伝えることはできません。

隊員たちは18歳から20歳前後という若さで、帰還を前提としない任務に送り出されました。一方で、攻撃を受けた米駆逐艦キャラハンでも多くの命が失われています。

戦争は敵味方を問わず、多くの若者や家族の未来を奪いました。

だからこそ、この歴史を伝える目的は、特攻を美化したり称賛したりすることではありません。戦争という極限状態の中で起きた出来事を知り、同じ悲劇を繰り返さないために学ぶことこそが最も大切です。

まとめ|第三次龍虎隊慰霊碑が伝えるもの

1945年7月、台湾から宮古島へ移動した第三次龍虎隊は、木製の練習機「赤とんぼ」で沖縄近海へ出撃しました。その歴史は、宮古島が終戦間際の重要な軍事拠点だったことを今に伝えています。

二重越に建つ慰霊碑は、特攻をたたえるための場所ではありません。戦争によって失われた多くの命を悼み、平和への願いを未来へ伝えるための場所です。

宮古島は、美しい海や豊かな自然だけでは語り尽くせない島でもあります。戦争という歴史を知ることで、島の景色はまた違った意味を持って見えてくるはずです。

第三次龍虎隊の物語は、一つの部隊の歴史ではありません。宮古島が経験した戦争の記憶であり、平和の尊さを未来へ伝える大切な歴史でもあります。

みゃーくずみ編集部より

宮古島には、観光ガイドには載りにくい歴史が数多く残されています。第三次龍虎隊慰霊碑も、その一つです。

この記事では、戦争を美化するのではなく、史実に基づいて宮古島の歴史を伝えることを目的にまとめました。

終戦から80年以上が過ぎ、戦争を直接知る世代は少なくなっています。しかし、慰霊碑や戦争遺跡は今も静かに当時を語り続けています。

宮古島を訪れる機会があれば、美しい景色だけでなく、この島が歩んできた歴史にも思いを寄せてみてください。それが、平和の尊さを未来へつないでいく第一歩になるのではないでしょうか。

所在地

神風特別攻撃隊第三次龍虎隊之碑

📍 沖縄県宮古島市平良東仲宗根(二重越・豊旗の塔境内)

※慰霊のための場所です。見学の際は静かに参拝し、現地の案内や管理者の指示を守りましょう。

参考資料・出典

※本記事は、宮古島市・沖縄県の公的資料、戦史資料、地元報道など複数の資料をもとに作成しています。戦時中の記録については資料によって日付や人数などに一部差異があるため、複数の史料を照合し、確認できた内容を掲載しています。

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編集者コラム・宮古島への想い